桃園空港から台北駅行きの國光バスに乗ると空港から高速を走り、重慶北路の出口で一般道に入ります。その高速の出口に廟があることに気づいている人も多いでしょう。それが覚修宮です。
バスの右側に座っているとこれが見えるはず。
呂洞賓を「呂仙祖」と呼ぶのは全真教ですが、ここは全真教ではなく民間信仰の恩主信仰の廟。恩主信仰は、道教の占いの術・扶乩(扶鸞)から発展した鸞堂という信仰から派生したものです。扶乩とは、道士が神がかりになって神託を得るという設定で占いを行うもの。
鸞堂信仰は、台湾には広東から移民した客家人が伝えたと言われており、特に日本時代に流行したようです。覚修宮の前身である楽善社は、日本が台湾を領有して間もない1902年=明治35年に創建されました。ただ、今の場所になったのは1949年とのこと。
鸞堂では、特に民間で人気の武将や仙人を「五恩主」として崇めました。覚修宮の主祭神は呂恩主=孚佑帝君ですが、1階中央には関恩主=関聖帝君、張恩主=司命真君、王恩主=豁落靈官、岳恩主=精忠武穆王つまり岳飛の「五恩主」全てが祀られています。
孚佑帝君は3階の副殿にも祀られており、こちらには八仙が勢揃いしています。
そしてその正面には八仙渡海のレリーフ。
3階の中央には台北の廟ではめずらしい西王母。扶乩では鸞鳥という神鳥が術者に神意を伝えるということになっており、そして鸞鳥の飼い主が西王母だという設定です。
西王母の前に並んでいるのは、上元天官大帝、中元地官大帝、下元水官大帝。中元大帝は地獄を統率する神様で、誕生日の農暦7月15日の中元節には恩赦により地獄の釜の蓋が開いて亡者が地上に現れるので、お祭りして害を及ぼさないようにします。
ちなみに閻魔は地獄を統率しているわけではなく、裁判官集団十王の一人に過ぎません。
西王母の横に祀られているのは女媧。中国神話では女?が人間を作ったことになっています。また『封神演義』の冒頭では、紂王が女媧に対して不遜な態度をとったために狐狸精を差し向けます。この狐狸精が体を奪った人間というのがすなわち妲己です。
で、なぜかこの廟には『封神演義』ネタの彫刻が多いです。これは「哪吒が東海を騒がす」。これについては『西遊記』ネタかもしれませんが。
これは元始天尊が姜子牙に下界に行って周の味方してこいと命じているところ。
これは姜子牙が三昧真火で王貴人に化けた琵琶精の正体を暴くシーン。
金光聖母の金光陣。
文王吐子。つまり、紂王に捕らえられた姫昌が息子の伯邑考の肉をそれと知りながらもわからないふりをして食べ、許されて帰る途中に吐き出すシーンです。
吐瀉物の先端にみえるのはうさぎです。『封神演義』では、紂王から開放された姫昌が帰途に伯邑考の肉を吐き出すと、うさぎになって去っていきます。
『封神演義』ネタの他にも、三国志演義や中国の歴史に題をとったものもいろいろあるんですが、特に『封神演義』ネタが多いです。
階の移動にはエレベーターを使います。階段もあるんですが、一階でうろうろしていたら道士のおじさんがエレベーターで行くように教えてくれました。
二階の中央は太上道祖。太上老君=老子のことです。
三清や玉皇大帝などが作られる以前は、老子が道教の始祖に据えられていました。
孔丘も祀られているのは、恩主信仰の出処である鸞堂が、なぜか儒教の一派だと言い張っていた影響かもしれません。
覚修宮には何度か訪れました。最後に行ったのは2017年の春節の少し前です。
その折、一階では扁額のとりつけをしており、お参りも撮影もできなかったのでついていないと思いましたが…
なんとそれは蔡英文総統が覚修宮開基115年を記念して揮毫した扁額でした。そんな瞬間に出会えたことは、むしろラッキーだったのでした。
覚修宮は重慶北路をずーっと北上していくとあります。