景福宮

景福宮は林森北路の北の端近くにある三階建ての大きな廟です。現在の建物が落成したのは2001年で、台北の中でも新しいものですが、公式サイトを見るともともとは1875年に中山区の農村に建てられた小さな福徳宮だったものが、信徒が増えて何度かの移設や改築を経て現在のものになったようです。

元々が福徳宮だったということで、現在でも主祭神は福徳正神です。福徳正神というのは道教の中では位が低い神様です。例えて言うなら、城隍神が県知事ぐらいで、福徳正神は市長とか町長ぐらいです。なので、ここのように大きく立派な廟の主祭神とされることはまずありません。

失礼な物言いと思われるかもしれませんけれど、士林神農宮の場合、もともと福徳宮だったのに、建て直しの際にうっかり立派な廟宇にしてしまったために、福徳正神には立派すぎね?ってことでわざわざ神農をお迎えしたなどといった不憫なエピソードがあったりするのです。

それに比べたらここの福徳正神は幸せものです。

福徳正神の左右には、地蔵王菩薩、註生娘娘が祀られています。

この廟で私が注目したのは天井の美しさ。新しく建てられただけに、装飾が非常に緻密です。

道教の廟は天井まで凝った彫刻や絵で飾られていることが多いので、ぜひ天井を見上げてみてください。

二階に登っていくと八仙の宴会の絵。

二階中央は天上聖母媽祖です。

天上聖母の左は光ってちゃんと写っていないけれど玄天上帝。

右側には関聖帝君。

ネットに転がっている木柵の指南宮へ行った体験記みたいのに、道教・儒教・仏教の三教が集められためずらしい廟なんていうことが書いてあったりします。でもそんなものは特に珍しいことではありません。むしろ、南方の海沿いで信仰されていた媽祖と、北の武当山で信仰されていた玄天上帝が同時に祀られているほうが、道教的には珍しい。といっても、それは中国での話であって、台湾では珍しいことではありません。

台湾では媽祖廟に玄天上帝の神像が置かれている、玄天上帝の廟に媽祖の神像が置かれているというのはよく見られます。玄天上帝は明朝朱家の守護神とされていたので、おそらくは鄭成功一派が台湾に逃亡してきたおりにもちこんだ信仰ではないかと思います。一方媽祖信仰は福建からの移民がもちこみました。

関聖帝君の隣は太歳星君です。太歳星君は六十の干支にそれぞれ割り振られた太歳神が毎年もちまわりで担当することになっており、こうして位牌にその年の太歳神の神名を入れ替えるスタイルと、神像を置き換えるスタイルがあります。

それぞれの神像、菩薩像などが安置されている壇のまわりの装飾も、派手なのに下品にはならない配色の妙を感じます。

三階の中央は観世音菩薩です。

右側には学問の神様文昌帝君。

左側には五穀先帝、つまり神農。神農は神話では様々な草を自ら食べて薬と毒を選り分け、毒にあたって黒くなってしまったとされているので、前の小さい黒い像のほうが神話に則しています。

壁面には十八羅漢。

壁面の石の彫刻の奉納も多いです。これは5頭の獅子ですが合体しません。

これは台北市内でよく見る宝飾品店からの奉納品。企業からの奉納はやはり大きくて派手です。

四隅に張り付いているのは蝙蝠。日本ではなんとなく不吉なイメージで見られることが多い蝙蝠も、読みが変福に通じるということで縁起物として扱われています。

上の階からは林森北路と徳恵街の交差点が望めます。

景福宮は新しいだけに時間経過によって自然に出てくる風格のようなものがまだありません。100年後ぐらいにはいい感じになっているのではないでしょうか?

景福宮までは、林森北路をずっと北上していけば着きます。